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COMMONS CAFE

Date:2019.01.16 今出川

[第30回コモンズカフェ]同志社大学文学部嘱託講師 久留島元「天狗の鼻が高いのは」

第30回コモンズカフェ開催記録

<はじめに>

 今回のコモンズカフェでは、日本学術振興会特別研究員の久留島元先生に「天狗の鼻が高いのは」というテーマでお話いただきました。久留島先生は、中世の説話や絵巻に見える天狗に関する研究をはじめ、怪異・妖怪を文学の立場から分析する研究をされています。また現代俳句の実作や評論においても活躍されています。今回は、時代による天狗の位置づけの変化を自由にお話いただきました。久留島先生は普段、日本文学の講読課目を担当されていますが、本日のカフェには文学部以外の学生もたくさん来られました。

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 それでは、天狗に象徴されるものは何か、説話研究の視点、文化史的な視点で天狗がキャラクタライズされている背景を考えてみましょう。

 天狗というと、赤ら顔で鼻が高いという姿のイメージが強いかと思います。ビーフジャーキーの天狗のブランドだったり、絵本だったり、様々なところで見かけます。鞍馬山の天狗像の鼻が何年か前に雪が積もって折れ絆創膏を貼ったというのが、ネットニュースになったときもありました。

 実は、天狗が最初に日本の文献に出てくる時はそういう姿をしていないのです。舒明天皇時代、六〇〇年代ですね。流星が東から西に向かって流れました。流星の音がまるで雷の音みたいで、地響きのように響いてみんなびっくりしたらしいです。すると、僧旻という中国留学の経験があるお坊さんが、「あれは星ではなく天狗(てんこう)、天の犬です」といったのだそうです。

 「狗」という字は中国だと「犬」という意味で、中国では本来、天狗を流れ星だと捉えました。地面に落ちる時に、犬が吠えるような音を発する星であり、この星が現れると災いが起こるという、あまりよろしくない星として語られています。

 『山海経』の西山経にも、山猫みたいな形をした生き物が描かれているのですが、こういうものも「天狗(てんこう)」と呼んでいます。でも四つ足の獣ですから、まだ「犬」という字で理解できますよね。中国に行っても「天を飛ぶ犬だから、日蝕を起こすのが天狗だ、てんこうだ」と。今の中国の留学生にお聞きしても、「日蝕は天狗(てんこう)の仕業だ」と言うのです。例えば、中国の「封神演義」という漫画に出てくるイケメンのキャラクターが連れている犬も、天を飛ぶ犬なので、天の犬、すなわち天狗(テンコー)の一種になります。

 

<古典における「天狗」の系譜>

 ところが日本では、なぜか『日本書紀』の古いルビで「アマツキツネ」と読んだっていうんですね。この時点で、なぜか「アマツキツネ」という日本独特の化け物みたいになっていきました。

 そこからです。平安時代の『大鏡』には三条天皇が目の病にかかっていたという話があるのですが、これは桓筭というお坊さんの霊がとりついて、羽で目を覆ってバタバタとはばたいて目が見えたり見えなかったりしたというのです。この、お坊さんの霊がバタバタ羽を動かしているのを「天狗」といいました。それからもう一つ、『中外抄』という本があって、当時、ある一流の貴族がお坊さんに仏教の教えを習っていたら、そのお坊さんたちに嘴があるのに気が付いた。「これは天狗だ」と思って「春日の神さま、助けて」といったら助けてくれたというんですね。後にこの同じ話を絵巻にした『春日権現験記絵』では、寝ている間に夢の中で嘴を付けた鳥頭の天狗たちが騙しにきたという解釈をしています。

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 修行中のお坊さんが天狗に騙されたり、中国からきた天狗が比叡山のお坊さんにやっつけられて鴨川でお風呂に入って傷を癒していくという話の絵巻物などもありますが、全部鳥の妖怪みたいな恰好をしています。これらの絵巻物から、天狗は空を飛ぶ怪しげなもので星になって飛んできたり、人にとりつく鳥の霊のようなイメージだったのかと思われます。

 ここまでが古典の天狗と、今、みなさんが知っている天狗の違いです。

 

<能の天狗>

 さっきの中国から来た天狗の話が能になったのが「善界」です。鞍馬の義経の天狗の話が元になっているのが「鞍馬天狗」ですね。これになると、もう完全に我々の知っている天狗に近い。若干、能ですから舞台が金ぴかになっていたりしますけども、お鬚姿があって、お坊さんの恰好をしていてという。兜巾を被っているので、ただのお坊さんじゃなくて山伏の感じ。

 能の天狗が多分、我々の知っている天狗の典型なのですが、能は室町時代になってからできました。天狗の能は「応仁の乱」より後にできました。その頃、宗教として非常に力を持ってきたのが、実はこの修験道、山伏です。山で修行する人って日本ではずっと昔からいて、もしかしたら日本に仏教が入ってくる前からいたかも知れないといわれています。

 ところが山で修行している人たちを聖護院などが中心になって修験道、山伏という形で独立した宗教にまとめていったのが室町時代です。修験道が力をもった時代に能があって、能の中に天狗が出てきて山伏の恰好をしています。

 この頃に天狗に革命が起こります。今までお坊さんに悪さをしたり嫌がらせしかしていなかった天狗が、「鞍馬天狗」の伝説では義経に武術を教えて助けてくれるんです。義経は鞍馬天狗に武術を学んで平家に打ち勝つ。まるで義経の守護霊のようになる。これも天狗界の大革命になるんです。今まで恐れられていた悪いものの力を逆利用して平家という強大な力を打ち破る力にしてしまう。恐れていたものを逆に力にするということで転換が起こってしまった。時代的には室町時代の中頃から終りにかけて、江戸時代の始めには我々がよく知っている天狗ができあがるということです。

 

<天狗の鼻が高いのはなぜなのか>

 能の天狗が我々の知っている天狗に近いといいましたが、では今日のお題、「天狗の鼻はなぜ高い」のでしょう。

 一つの考え方としては鳥の鼻を人間の顔にした時、大きな鼻で鷲鼻という言い方もしますが、鳥を擬人化した時、鼻が高くなる。もう一つは、実はお面に「鼻高」の系譜があるんですね。福井県文化財のHPに赤い鼻の天狗の面と同じものが載っていて、「王の舞」といいます。この天狗面自体、多分、室町時代より前からあるんですね。文献に残ってないのもあるので確定はできないんですけど、室町時代の人が同じようなことをいっているので。

 一言で答えは出せないのですが、お祭りの中に流れている天狗の鼻高の系譜、それから天狗というのは病気の原因としての鳥。悪い鳥の化けものがとりついているんだという考え方。その鳥を擬人化した姿だという考え方などと混ざり合いながら今の天狗の姿が出来上がっているということになるのかと思います。

 

<天狗が象徴しているものは何なのか>

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 時代によって変わりますが、『現代民話考』や『昔話十二か月』の児童文学作家・松谷みよこさんが集めた話には天狗に人がさらわれた話が多く、昭和30年代、40年代ぐらいまで天狗が人にとりつくという話も聞けたそうです。もっと古い時代だと、例えば『太平記』には、祭りの最中に急に見学席が倒れた、これは天狗が倒したものだという記事が見えます。ありえない事件が起きた時、「あれは天狗の仕業だ」と、ある意味、社会不安の象徴みたいなところが「天狗」という言葉で表される場合がある。一概には言えないですが、一般的に天狗は「悪いこと」や「人さらい」を象徴する場合が多いです。

 

<質疑応答から>

 ここからは質疑応答の一部を紹介します。

Q) 天狗界にヒエラルキーのようなものがあるのでしょうか。

A) いつからいわれ始めたのか、文献的には江戸の終り頃しか分からないですが、日本には「八天狗」という有名な天狗がいることになっています。愛宕山太郎坊、鞍馬山僧正坊、飯綱三郎、白峰相模坊など天狗が良い者になるという一つのイメージが固まってくるのが「鞍馬天狗」です。山の神さまみたいな、鞍馬山を守護するイメージで、しかも義経を助けてくれる。そういうイメージがつくのも「鞍馬天狗」からです。「鞍馬天狗」を見てみると「木の葉天狗」というのが出てきて、牛若丸は木の葉天狗と立ち会いをすることになるわけです。それを見ていた鞍馬天狗が「もうちょっと術を教えてやろう」と後ろから出てくる。

 そういうヒエラルキーみたいなものが、実は天狗界にはあるといわれていて、鳥頭の天狗は鼻が高い天狗よりもランクが下だといわれていると考えるわけです。

 能の「鞍馬天狗」の中では、日本の天狗の名前がたくさん挙がってきて、その天狗たちの王が鞍馬天狗であるという。これは「鞍馬寺が、そういうことをいったから」というところもある。鞍馬寺は修験道のお寺でもあるので鞍馬の火祭という修験のお祭があったりしますけどね。

 愛宕も山伏のお寺で、愛宕と鞍馬は室町時代に修験のお寺として力をもってきます。愛宕の山伏とか鞍馬の山伏というのも非常に重要視されています。

 なぜ日本の天狗の中で鞍馬と愛宕の天狗が一番偉いとされるのか。端的にいうと「京都」だからでしょう。文芸などの中では京都が中心になります。どう考えても、歴史的に京都で天狗が語られた時代が長いのです。鎌倉時代辺りから、「愛宕山太郎坊」という天狗の名前(固有名詞)が出てきます。愛宕山太郎坊の「太郎」っていうのが最も古いのです。逆に、最初から出ているにもかかわらず、たいして偉くない天狗もいます。「比良山次郎坊」です。滋賀県に比良山がありますよね。古典の世界では「愛宕山太郎」と「比良山次郎」と対になってずっと出てくるのですが、「比良山次郎」が単独で何かしたという伝説は一つもありません。

 多分、比良の天狗、滋賀県というのは関西の仏教の中心を成す比叡山があって、語りとして、伝説としては、比叡山のお坊さんを悩ませる比良山の天狗や伊吹山天狗など伝説としてはたくさん残るのですが、必ず負ける側で、あまり強くならないまま終わります。ところが修験道として単独で力をもっていた山のいくつかは天狗の力で強くなっているとアピールしているところがあります。地域によるというよりは、天狗界のヒエラルキーによるものですね。

 

<おわりに>

 「天狗」というのは、民俗学的なアプローチや歴史的な考察も可能ですが、久留島先生は日本文学という領域で、天狗という言葉を語る人々の背景に何があるのかを考えるのが一つの文学研究の方法だと捉えて研究されています。久留島先生は、「天狗」のことを研究するというと一見役に立たなさそうに見えるかも知れないが、役に立たないかも知れない知識を学んだ時、それをどう役立てるかはその人の知の運用であり、学問自体が役に立たないということではない、と仰いました。

 今回のコモンズカフェでは、天狗のイメージが古代からいろいろあって、室町期の能の天狗によって今の私たちのイメージする天狗に近いものになっていったと知ることができました。また、悪い者としてイメージされていた天狗が、良いことをする者に転換されていくというダイナミズムも感じることができた1時間でした。

 

(文章:趙智英 アカデミック・インストラクター)
[付記:今回の記録はテープ起こしをしてくださった方のお力で作成することができました]

 

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