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COMMONS CAFE <コモンズカフェ>

開催日:2016年01月15日

[第16回]同志社大学 経済学部客員教授 近藤誠一 「民主主義は正しく機能しているか―テロ多発の意味を考える―」

第16回 コモンズカフェ 開催記録

<はじめに>

 2016年1月15日、第16回コモンズカフェが開かれました。今回は本学経済学部の客員教授で、外交官、文化庁長官を歴任された近藤誠一先生をお招きし、「民主主義は正しく機能しているか―テロ多発の意味を考える―」というタイトルで、お話を伺いました。

第16回コモンズカフェ近藤先生01 近藤先生は外務省に入省されてから42年間の半分近くを、外交官としてヨーロッパをはじめとした海外で過ごされたそうです。そのような長い海外生活の経験から、参加者の皆さんと対話したいとおっしゃいました。今回のコモンズカフェは「テロの脅威が続く昨今の国際状況の中、民主主義は果たして正しく機能しているのか」という難しいテーマですが、当日の参加者の皆さんは、真剣な表情で先生のお話に耳を傾けていました。当日の様子をレポートします。

 

<二つの疑問及びそれぞれへの答え>

 最近の国際情勢といえば、テロが多発していること、特にイスラム国という国家を名乗る団体が出てきて勢力を拡大していることが非常に問題となっています。それは中東地域で国家が統治能力を失っているからでもあるのですが、アメリカやロシア、ヨーロッパが加わってもなかなか武装勢力を鎮圧できないからです。

 「では、(イ)なぜ今の『近代』にあって、イスラム国のような組織が生まれて、かつ育ったのか。(ロ)なぜ圧倒的な力を持っている近代国家がそれを潰せないのか」と近藤先生は二つの疑問を投げかけました。

 それらの答えとして、近藤先生は二つの仮説を提示されました。

 一つは、400年ほど前の17世紀に生まれた西洋の近代文明、近代合理主義(自由民主主義、個人主義、法の支配、自由経済等の理念)が綻びを見せ始めてきていることです。その綻びの隙間にイスラム国が入ってきて勢力を伸ばしています。

 もう一つは、同じく17世紀に始まって現在まで発展してきた「近代国家」は実は我々が無意識に受け入れているような当たり前の存在ではなく、また、最近になってその力が弱まってきていることです。この状況は彼らがイスラム国を鎮圧できないことにつながります。

 それぞれの中身について、先生は以下のように更に詳しく述べられました。

 

<自由民主主義・近代国家はいつ生まれてきたか>

 今から400年ほど前の西洋において、三十年戦争を経た1648年のウェストファリア条約が締結されたころに近代国家・近代国際政治の萌芽が生まれたとされます。また、時を同じくする17世紀の前半に、近代合理主義(民主主義、個人主義、自由経済等の理念)が生まれました。この発祥の一つがフランスの哲学者デカルトの『方法序説』です。このように17世紀に、現在の私たちが社会を運営するにあたって、もっとも正しい理念と思っている「自由民主主義」、そして私たちにとって当たり前だと思っている「近代国家」といったものが生まれました。

 そして400年間ほどの試行錯誤を経て、リベラルデモクラシー「自由民主主義」の正しさと近代国家・主権国家による社会運営を当然視する観念が我々の中に深く定着していきました。過去の文献には、私たちはすでに行き着くところまで来ていたという議論さえ出ています。冷戦が終わった頃にアメリカのフランシス・フクヤマによって書かれた『歴史の終わり』(渡部昇一訳、三笠書房、1992年)がその好例です。この本では、人類の長い歴史の中には色々な理念があって興亡したが、最後には共産主義と自由民主主義という二つの大きな普遍主義の争いになり、最終的に自由民主主義が勝利を得たことが書かれています。その結果、人類はついに終着駅にたどり着き、どのような理念が社会を運営するのに一番良いのかを追究する時代はすでに終わったのだ、といった内容が書かれています。歴史とは人類が一番良い社会体制、一番良い理念を絶えず探る過程であり、それが終着駅にたどり着いたので「歴史が終わったのだ」という面白い表現で『歴史の終わり』という本が書かれたのです、と近藤先生はおっしゃいました。

 出版当時は、近藤先生も含めて、これで民主主義の正しさが証明されて、これからは平和で繁栄した世界になるだろう、と皆が本当にそう信じていたそうです。そして、他の国や途上国も次々と自由民主主義を導入していったわけです。

 

<自由民主主義が綻びを見せ始めている理由>

 ところが、それから二、三十年が経ってくると、自由民主主義は必ずしも正しく機能していない、との事実が徐々に明らかになってきました。近藤先生はその理由は少なくとも三つあるとされ、その内容を詳細に語られました。

 一つ目は、アメリカやイギリスを中心とした先進国は、自由民主主義・自由経済主義が一番いいという強い信念の下に、それを色々な形で世界へ広めようとしてきました。彼らは場合によっては強硬な手段もとり、とくに経済援助の条件として途上国に民主選挙や自由市場の開放などを押し付けてきました。自由民主主義の原則について妥協を許さず、厳しい「タテマエ」を受け入れさせてきたのです。途上国からすれば、最初は経済援助をもらえるために我慢して自由民主主義を受け入れたとしても、次第に自分たちが成長していくにつれて、やはり欧米のいう民主主義はそのままでは自国に合わないと感じ、反発し始めました。

 二つ目は、自由民主主義には個人の義務や責任感、モラル、公徳心などを伴うのが基本なのにもかかわらず、途上国、特に中東の国々にはそれに関する基本知識を備えないままに強引にそれが導入されました。その結果、自由民主主義はそれらの国で失敗しました。「これは車の免許と同じで、まず教習所に通って基本知識やルール、マナーを学んで、免許証を取ってはじめて民主主義を実践しなければいけないのに、中東の場合は、いきなりレクサスを与えられて、アクセルを踏んだらダーッと走って事故を起こした感じですね」という近藤先生の面白く分かりやすい喩えに皆さんが頷きました。

 三つ目は、今までずっと世界をリードしてきた欧米の先進国自身が個人の自由を野放しにしてもてはやすことにより、責任やモラルという自由民主主義の前提ルールを古いもの、封建的なものとみなして軽んじてきた結果、金融危機が起きたり、経済格差がどんどん広がったりと厳しい状況にあることがあります。それが背景にあり、人々、特に若者たちが自由民主主義に対して幻滅するようになったことです。さらに長引く経済困難や大量の移民の流入によって、一般大衆の忍耐力が限度にきて、反移民運動という自由民主主義とは相いれない動きさえ出てきました。自由民主主義の理念という「タテマエ」や「きれいごと」に疲れてきたのです。

 このように「①長年の経済援助を通した英米型自由民主主義の押しつけに途上国が我慢しきれなくなったこと、②途上国に自由民主主義に関する基本知識がないままに仮想に導入したこと、③自由民主主義の正しさや普遍性をずっと説いてきた先進国自身がそれをうまく実行できていないこと、の三つの理由で、自由民主主義が正しく機能しなくなったのです」と近藤先生はおっしゃいました。

 「リベラルデモクラシーは、多分チャーチルの言ったように一番『まし』なシステムに過ぎないでしょう。それより良いシステムは多分ないと思います」と近藤先生は自由民主主義に対して、やはり積極的な評価をされています。「そうなのだけれども、それをうまく運用できていないので、結局自由民主主義は題目だけになってしまい、実態はおかしいのです」と先生は付け加えられました。

 そこをイスラム国が利用して自身の力を拡大してきました。なぜ多くの若者があえてロンドンやニューヨークなどからイスラム国に行くのでしょうか。やはり彼らがずっと信じてきた自由民主主義が色々な形で綻びを見せ始めたので、彼らは幻滅感を抱いたのでしょう。また、彼らは職にも就けず、格差も縮まらない中、周りを見渡していると、「生き甲斐」というものを考え、実行できそうな面白そうなのがイスラム国だと思って、その結果イスラム国に行ったのではないか、と先生は推測されました。これが、最初の一つ目の問いである「なぜ今の近代にあって、イスラム国のような組織が生まれて、かつ育ったのか」に対する答えになります。

 

<近代国家の力が弱まってきた理由―国家の虚構性>

 最初の二つ目の問い、つまり万全の体制をとって国境を厳密にコントロールしている近代国家がなぜイスラム国を鎮圧できないのかに関して、近藤先生は「国家の虚構性」という概念を提示されました。世界地図を見ても分かるように、地上は南極大陸を除けば殆どどこかの国に属して統治され、各々不可侵の主権を持っています。現在の私たちにとってこれは当たり前のことと思われますが、実は当たり前のことではありません。そもそも国家は「虚構性」という本質を持っているのだ、と近藤先生は述べられました。第16回コモンズカフェ近藤先生02

 国家の「虚構性」とは何でしょうか。近藤先生は人類が生まれた歴史から語り始めました。人類は700万年前に生まれたと言われます。3~400万年前の人類の骨がアフリカで発見され、近藤先生もアフリカ出張の合間に実際にその最古とされる人類の骨を見てこられたそうです。まさに現在主流になっている学説の通り、すべての人類はアフリカから始まり、そこから世界中に広がっていきます。移動を始めて各地に住むようになり、気候・風土の違いによって体質も変わり、そして民族も分かれ、それぞれ文化をもつようになりました。その結果、今の世界中には多数の民族、多様な文化があるわけです。

 しかし、国家というものは必ずしも民族・文化と一対一に対応するわけではありません。「支配者が軍事力で相手を負かし、そこの土地や人々を支配し、また国境という線を引いてこれが俺の領地だと言って作ったのが国家なのです」と近藤先生は国家の生まれた本質、即ち国家の「虚構性」を指摘します。日本の場合は国家と民族が対応しているほうですが、ヨーロッパ等では必ずしもそうではないそうです。特にアフリカではイギリスやフランスによる支配下の植民地時代に、「divide and rule(―分割して統治せよ)」という統治手法が常套的に使われました。つまり、同一民族を二つに分けて別の国にしてしまい、異なる民族を同じ国に住まわせてしまうことで被支配者たちが互いに反目し合ってエネルギーを消耗し、結果としては統治者に刃向ってこないのです。分断する統治方法がアフリカで長らく使われました。

 このような歴史的背景を受けて現在のアフリカでは民族・言語族と国境線とが全然一致していません。ヨーロッパでも他の地域でも同じような現象があります。結局、民族の持っている誇りやアイデンティティ・文化と「国家」という人工的な構築物との間には齟齬が生じるわけです。「歴史は勝者が書く(―history is written by the victors and conquerors)」と言われるように、勝利者が書く「正史」には負けた者、支配された者の苦しみや恨みはあまり表に出てきません。しかし、正史に残らなかったものは民族の記憶としてずっと語り継がれており、アラブとイスラエルにおいては特にその典型がみられます。そういった民族の恨みは、近代国家という支配者の論理によって作られたシステムによってずっと押さえつけられてきたわけですが、最近になって近代国家が色々な形で弱まってきたのに伴って噴出してきたのです。

 続いて、なぜ近代国家の力が弱まってきたのかの疑問に対する議論がはじまりました。その理由は国家が自らの正統性を主張するために取った方法と関係があると言います。

 古代では支配者は自分が正しい支配者だと主張するために神話を作って、自分が神話の神とつながっているのだと被支配者を説得していました。中世になると国家の正当性主張の手段として宗教が登場しました。特にヨーロッパでは王権神授といって王は自らが神様より力を与えられたから絶対君主なのだと主張して、王政を保っていたそうです。

 しかし、近代国家になるとすでに神話、宗教を利用できる時代ではありません。では、どうすれば正統性を主張できるのかというと国民のために自由民主主義を確保してやっているのだということが理由になるのです、と近藤先生がおっしゃいました。

 こうして近代国家は国民にどんどん自由を与えていきます。これまで国家は危険に対して国境を仕切ってコントロールしてきましたが、現在では金融もITも、そして相当程度国民も国境を越えて自由に行き来しています。ハッカーも侵入してきたり、金融危機も起きたりして、国家はもはやこれらをコントロールできなくなりました。つまり、国家が自分の正統性を主張するために国民に自由を与え、甘やかした結果、逆に自分の力を弱めてしまうという皮肉な結果につながりました。

 このように近代国家の力が弱まり、抑えが利かなくなると歴史的に支配されてきた民族の怨念がどんどん表に噴出してくるわけです。中東で見られる様々なテロや民族同士の争いはまさにこの状況を物語っています。イスラム国はこのようなイスラム教徒が民族の「記憶」として心の奥に持つキリスト教徒に対する歴史的な反感をうまく利用しています。

 一方、キリスト教徒も心の底のどこかにはイスラム教徒に対する偏見等があります。それを自らの「文明」でずっと押さえてきましたが自国内の格差も広がる、イスラム過激派によるテロもあるなど、色々と物事がうまくゆかなくなってくるとイスラム教徒に対する反発心が表立ってきます。ヨーロッパに見られる反移民運動やアメリカのトランプ氏によるイスラム教徒を追い出す論調がまさにその象徴です。

 すなわち、近代国家がこれまで持っていた力を発揮できなくなってきたことで、これまでは覆われて隠されてきた民族同士の感情的な対立を近代国家が抑えきれなくなって噴出してきているのです。それが近代主権国家が君臨しているはずの現在、イスラム国が勢力を強めている理由だと思います。

 

 

<これからはどうすべきか――自由民主主義の行き先>

 それではこれからの自由民主主義はどうなっていくのでしょうか。近藤先生はいくつかの可能性を疑問形式で語られました。

第16回コモンズカフェ近藤先生03 自由民主主義に代わるものを探すべきなのでしょうか?それともそれを修復して何とかなるのでしょうか?あるいは普遍的な理念や制度はそもそもなく、国際政治学者の田中明彦氏が提唱した「新しい中世」説の通りに各国が自らに合う理念と制度を運用して、近代国家以前の中世にあった諸国・諸制度並存の状況に戻りつつあるのでしょうか?また、近代国家は力を取り戻せるのでしょうか?それとも国家以外の非国家団体、つまり市民社会が更なる役割を持っていくのでしょうか?

 このようにこれからの21、22世紀の社会を運営するために、理念としての自由民主主義をどう考えるのか、また制度としての近代国家をどうしていくのかということが人類にとって大きな課題となります。この意味では今の私たちはまさに4~500年に及ぶ人類の歴史の仕上げに近づいているところにいるのです。不確実性もたくさんあるのですが、それだけに面白い時代ではないでしょうか、と近藤先生はまとめられました。

 

<おわりに>

 昨今のテロ多発とイスラム国問題をめぐって自由民主主義理念への幻滅や近代国家制度の揺らぎ、またこれらの課題などについて大変勉強になるお話を聞かせていただいた前半でした。後半の質疑応答でも文化交流の役割やソフトパワーの力と運用、欧米における日本文化の浸透状況などに関する質問が寄せられ、近藤先生は広い知見に基づいたご視座から面白い実例(アフリカの空港に日本で有名な某キャラクターグッズがお土産として売られていた、等)をもとに興味深いお話をしてくださいました。本当に充実したコモンズカフェのひとときとなりました。

 お忙しい中、昨今の国家が直面する課題や文化交流の力について大変貴重なお話をしてくださいました近藤先生にお礼を申しあげます。どうもありがとうございました。

  コモンズカフェは次回も学内外の先生をお招きして開催いたします。皆さんの積極的なご参加を期待しております。

(文責・LA趙玉萍)

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