開催日:2017年06月08日
[第24回]同志社大学 法学部教授 木下麻奈子「データから見る日本人の『法意識』」
第24回コモンズカフェ開催記録
<はじめに>
今回のゲストは、法学部で法社会学を担当していらっしゃる木下先生です。
本日はこの会のために資料を用意してくださいまして、それを参照しながらお話がはじまりました。
<法意識の「法」と「意識」>
先生は、法に関わる問題について実証研究を行っていらっしゃいます。自分が不思議に思っている問題を解明することが出来るのが、研究する一番の楽しみであるとのことでした。
まずは、「法」という言葉の確認から始まります。
「法とは何ですか?」と参加者に問いを投げる先生。続いて、「では、法律とは何ですか?もし、両者が違うとすれば、その違いはどこにあるのでしょう。」
日本の日常用語では、「法」と「法律」という言葉は明確に区別して用いられないことが多いといいます。しかし、西欧では、「法」と「法律」に当たる言葉の語源が異なるため、両者を区別しているそうです。そこで、日本の法学でもそれに倣って、基本的には両者を区別することになったと言います。「法」を一義的に定義することは難しいですが、法は、法律より広範囲のものを意味することが多く、敢えて言うなら、裁判などにおいて判断基準に使われるような正しさを含んだ社会規範の一種を意味するそうです。
また、「意識」という概念も、研究者によっても定義が異なるそうです。そこで木下先生は、「意識」の代わりに社会心理学の「態度」という概念を用いて、それを実証的に捉えようとされています。
つまり、「法意識」の代わりに「法態度」という概念を用いて再定義するわけで、「法態度」の中には、法や法制度に対する感情的な方向性、認知構造、行動意図を成分として含んでいるのだそうです。
<日本人の法態度のベース:1976年調査と2005年調査の比較>
では、日本人の法への態度はどのようなものなのでしょうか?一般の市民は法に対してどんなイメージを持っているのでしょうか?この問題を考える上で、示唆的な実証研究があります。それは1976年に統計数理研究所の林知己夫先生たちが行った調査を、2005年に木下先生たちが追試した研究です。
これらの調査の中でも、日本人の「素朴な道徳感情」は、とくに興味深いものです。この問題に係る質問として、「悪いことをしたらバチがあたると思うか」、「良いおこないをしたときも悪いおこないをしたときも、神や仏はこれを知っていると思うか」などが挙げられます。1976年と2005年の2つの調査結果を比較しますと、変化が見られます。たとえば、1976年調査のときに20歳代であった人たちと、2005年調査のときに50歳代の人たちを比較すると、両者は同じ世代に属する人なのに後者の素朴道徳感情が増しているのです。そして全体として、どの年齢層でも1976年調査より2005年調査で素朴道徳感情が増しています。
また、この調査では、人びとの契約に対する態度についても多くの質問がなされています。1976年の調査でも2005年の調査でも、日本人は契約書を作るときはそれを厳密に作ることを好むのですが、その後、契約が実情にそぐわなくなったときは、契約を守らなくてもすむようにしてもらう、と考える人が多数いることがわかりました。つまり規範の融通性に係る態度には、30年間の間にほとんど変化が見られません。このことから、「契約の内容は厳格に、適用は柔軟に」という考え方は、日本において根源的な価値観であることが伺えます。
これらの結果を通覧すると、日本人の法への態度を規定している要因自体には変化がないようですが、彼らの法への態度は、法律学の考え方とは馴染まない側面もあるようです。
<日本の実際の訴訟件数は……?>
次に、日本での訴訟件数の多寡について紹介されました。ある研究によると、人口当たりの日本の訴訟件数は、他国と比較した場合、かなり少ないことが明らかにされています。さらに訴訟件数の経年変化を見ますと、地方裁判所においても簡易裁判所においても、訴訟件数は2009年にピークを迎え、それからは減少しているのだそうです。
<日本人の法への態度は変化するか?>
日本で訴訟件数が少ない理由を、「文化のせいだ」と考える研究者もいるそうです。しかし、そもそも文化が何を意味しているのか、それが日本特有のものなのか、文化というマクロレベルの概念を実証的に検証するにはどうすればよいかなど、文化という概念を用いて説明することには多くの問題があるようです。
そこで文化を構成している要因の一つである法態度というミクロな概念を用いて、実証研究が行われました。その調査によると、日本の多くの人たちは、できれば一生、法と触れる問題に直接係りたくないといった態度を持っているようです。また、先のデータが示すように、専門家が考える法的な思考とは馴染まない考えをすることもあるようです。だからといって法を嫌う文化が日本に不変的に存在すると結論づけるのは早計だと木下先生は考えておられます。
この問題に関して、木下先生は、日本人を対象にシナリオ実験を行っておられます。実験の結果、情報の与え方によって、人びとの行動に差が生まれました。詳しく言うと、トラブルが発生した場合、その相手と継続的な関係がある場合は、「ほとんどの人が裁判をする」という情報を得た場合でも、「ほとんどの人は何もしない」という情報を得た場合でも、裁判を避けたいと考える人は多くその率は同じくらいです。ところが、トラブルの相手と継続的な関係がない場合では、「ほとんどの人が裁判をする」という情報を与えると、裁判を避けたいとする人は減ります。つまり、訴訟への態度は、不変的なものではなく状況要因によって変化することが明らかになったそうです。
<木下先生の信条>
木下先生は「研究者は自分で何か実感として違うと思うことがあれば、工夫をして証明することができます。そこが研究の醍醐味であり楽しさでもあります」と目を輝かせておられました。
そこには「自分だけが見えている世界を周囲にも見せてあげたい」というわくわく感があるようです。
<質疑応答から>
参加者から多くの質問が寄せられました。おこたえとあわせていくつかご紹介しましょう。
1. 2006年から2009年にかけて訴訟件数が増えているのはなぜですか?
先生によれば、その一因として過払い訴訟の増加があるといいます。
2. 研究職を志した時期はいつですか?
気がついたら研究職だったそうです。
3. 1976年から2005年以かけて道徳感情スケールが上がった原因は何ですか?
この調査からだけでは、断定できる理由はわからないそうです。ただ、一つの仮説として、豊かになって世情が安定してきたことなどが影響しているのではないか、ということでした。
4. 日本の法律と日本人の性質があってないのでは?
「法継受(ほうけいじゅ)」の問題に関係するそうです。日本の法律ですから日本の国民性に馴染んだものである必要があるのは一般的にはその通りですが、同時にそれが法として機能するには国民性を超えた、不変的な正義や価値観が内在する必要があります。つまりこの問題は、日本における法とは何かという問題の別の問い方だといえます。
5. 現在一番興味を持っている研究は何ですか?
様々な社会・場所で、「法」がどのように作られてきたのかという法の形成過程に興味を持っています。ただそれが、「法」といえるものなのかということを明らかにする必要があります。
<おわりに>
あっという間に時間になってしまい、やむなくお開きとなってしまいました。
その後も参加学生たちが先生を取り囲んで引き続きお話をされていました。先生も質問に対して、ひとつひとつ応答されております。時間にとらわれず、先生と学生とが自由に対話を続けるというコモンズカフェの想定していたひとつの成果を感じるひと時でした。
次回は文学部の岡林先生をお招きします。お楽しみに。