開催日:2017年12月13日
[第27回]同志社大学 免許資格課程センター助教 佐藤翔「キャッチーに科学する」
第27回コモンズカフェ開催記録
<はじ めに>
今回のコモンズカフェでは免許資格課程センターの佐藤翔先生をお招きしました。
先生の研究分野は「図書館情報学」「知の情報学」「人文社会情報学」です。図書館の話題だけではなく、近年ではソーシャルメディアと学術研究のかかわりについて情報知識学会誌に論文を発表されています。
本日は「キャッチーに科学する」というテーマでソーシャルメディアと研究者がどうかかわっているかについてお話をお聞きします。
今回、歴史に残るポスター告知文を下記のようにお寄せいただきました。
Instagramに真上から撮ったおしゃれな料理写真をアップしつつ、Facebookでは意識の高さや友達の多さをアピールし、Twitterでは大喜利とダメ人間アピールでRTを稼ぐ。そんな現代で生きていくには、もちろん研究者だってソーシャルメディアを気にしないわけにはいきません。いかに他の研究者や世間の注目を集められるように研究成果をアピールするか。どんなものが注目を集めるのか。注目されることに意味なんてあるのか。ソーシャルメディア×研究のお話を、真面目にキャッチーに考えていきます。
告知文に多くの方が関心を持たれたようでして、和気藹々とした中、先生のお話が始まりました。
<情報研究と「計量書誌学」>
情報研究とは何でしょうか。佐藤先生ご自身は「人が情報をどうやって利用しているのか、図書館を使ってどう利用しているか。ソーシャルメディアをどう利用しているか。論文を書いたり、発表したり、研究者はどういうふうに情報を使っているか、どういうところで発表して、発表した情報を読んで引用しているのか、さまざまに研究」しているとのことです。
長く研究されているテーマは「学術的な情報が人にどう使われているか」です。この分野には「計量書誌学」という領域があります。書誌学は昔から存在しています。たとえば文学部などで研究すべき文献が存在した時、どれがオリジナルに近いか校訂作業を繰り返していくとか、文献同士の関係を丹念に見ていくとかの分野です。片や「計量書誌学」はそうではなく、論文の中身をいかに読まずして、表面的な情報(論文タイトルや参考文献、謝辞など)だけに注目することで世の中の仕組みを探究するのです。
「計量書誌学」にのっとり、情報を研究する佐藤先生にとって、文献の大事な情報として、「タイトル」が意味をもってくるわけです。
<キャッチーに科学する>
佐藤先生曰く、「キャッチーに科学する」のは2つの要素があるとのことです。
1つ目は、他の研究者に対してキッチャーに研究したいのかどうか。
2つ目は、一般の人も含めて世の中に対してキャッチーに研究したいのかどうか。
普段のコモンズカフェは先生のお話が続くパターンが多いのですが、佐藤先生はフロアーの皆さんに声掛けをします。「みなさんの研究をどうやればキャッチーにできるか、いっしょに考えていきましょう。ついては、どなたかご自分の研究とその論文にタイトルをつけるとしたら何がよいのか、実演していきましょう」。
勇敢な参加者がおひとりあらわれました。ご自身の研究と論文タイトル案について寄せてくださいました。
実演をしながら、佐藤先生は説明をされます。「論文のタイトルのつけ方は大雑把に分けると3種類あります」。
その①「論文のタイトルで結論をいっている」研究。
理工系、理系に多いですが、「毎日、シャンプーを○○すると人間は○○になる」系。極端ですが、「1日1回納豆を食べると、がんになるリスクが10年間で5%下がる(注:架空のものです)」。タイトルが結論をいっているタイプになります。
その②「タイトルが疑問文になっている」研究。
「○○を毎日食べることは健康によいか?」、「毎日シャンプーを○○すると人は○○になるか?」系。
その③「タイトルが何をやろうとしているかをテーマが表している」研究。
ですが、このタイトルでは結論はいっていません。「○○における○○教育」、「○○版からの学術論文の引用状況」系。この特徴は名詞で終わります。
佐藤先生曰く、「何かに関する調査、何かに関する考察など。この3パターンがあります。サブタイトルがつくか、つかないかという要素もありますね」。
この3つの中で一般の人含めてキャッチーなのは疑問文形式であると断言されます。
<タイトルに「?」をつけるとよいのか?>
論文タイトルに「?」(疑問形)をつけると一般の人が興味を持ち始めてくれるかもしれません。では、それを多用することが望ましいのでしょうか。実際にそのような質問をされた学生がおりました。
先生曰く「?(マーク)は諸刃の刃なのです」。一般向けのキャッチーさをもちながらも、専門家同士の間では軽めの論文ではないかと思われてしまう可能性があるとおっしゃいます。先生自身も「?」をつけたタイトルの論文をよく書いてこられたので、その傾向はよく感じているようです。
他方でソーシャルメディアではテーマは、かなり人気になるテーマになります。一般的に学術論文の引用は理工系の方が人文・社会科学系よりも多いのです。理工系は引用する論文数が多いのと同時に論文自体も多いのです。
世界で毎年200万本(!)くらいの新しい論文が出版されているのです。それも英語に限ったとしも。その大半は「STEM」(サイエンス・テクノロジー・エンジニアリング・マスマティックス)に属するサイエンス、物理学、バイオ系の分野の論文が多いので、そういう人たちが互いに引用しあうので引用される数も多くなります。そうなると人文学、社会学、教育学、総合政策とかの分野は、引用によって評価される世の中だと不利であるとされています。日本語で書かれた論文となると、この状況の中では多く引用されたり、評価されたりするのは難しいですね。
<キャッチーにしておくとよいこと?>
一般の人が興味を持つようなタイトルをつけることが良いことなのでしょうか?佐藤先生の結論は「論文の本質的なところを変えてないのだったら、キャッチーの方がいいのではないか」です。
もしもテーマがタイトルの内容を反映しているのでしたら、より多くの人に、そして読まれるべき人に届くようにした方がよいとのお考えです。
せっかくいいテーマで書いても、それが高くて買えない雑誌に書いちゃうと読んでもらえない。機関リポジトリ等で無料公開するとか、最初から誰でも読める、無料で公開されている雑誌に出すとか、しないといけないでしょう。中身は変えないでいろんな人にちゃんと届くようにした方がいい。同じテーマでやっているのであれば、より中身が表示されて、多くの人にアピールするタイトルであった方がいいでしょう。
あまりにも論文の数が増え過ぎたので、みんな中身を読んでいられなくなった。物理的にその時間がない。そうなるとタイトルで結論を示した方が「なるほどこういう結論なのか」、と中身を細かく読まなくても概要を把握して、本当に読みたい論文だけを読むようになります。自分の研究を進めるのに役立てられるというタイトルが増えることで検索する人の手間が減ります。現にそういうタイトルが増えてきている。そういうタイトルに見せられた人が参照して、より引用の機会が増えることにもつながっていきます。
図書館情報学の分野で100年前に活躍していたインドのランガナタンという研究者がいました。「図書館学の5つのテーゼ」を述べています。その中に「すべての人にその求める本を」、「すべての本にそれを求める人を」という「情報と人をマッチングさせることが図書館のやるべきことだ」というテーゼがあります。
その情報が必要な人に届くこと、その情報が欲しい人に届くという意味でのキャッチーさを追い求めていったらいいと思うのですが、それを逸脱したレベルまでやる必要はないだろうと個人的な立場では思います。
逸脱するようなタイトルは「キャッチー」ではありません。そこは命名者の腕の見せ所になります。サブタイトルを活用するなどの工夫ももちろんあります。
論文・書籍のタイトルに隠された意味、研究の奥深さを知る回になりました。全体での時間が終了した後も、参加者が残り、先生に個別に質問されておりました。これから論文を書く人、論文を探す人にとって有意義な時間になりました。当コモンズカフェのタイトルもよりキャッチーに、逸脱せず、考えていきたいと思うようになりました。佐藤先生、ありがとうございました。
次回のコモンズカフェはLA主催企画となります。皆さん、お楽しみに。
[付記:今回の記録はテープ起こしをしてくださった方のお力で作成することができました]