開催日:2018年12月21日
[第29回]同志社大学法学部准教授 望月詩史「散歩と肉と鉄の棒〜近代日本の偉人と健康法〜」
第29回コモンズカフェ開催記録
<はじめに>
今回のコモンズカフェでは、法学部の望月詩史先生をお招きしました。望月先生は政治学をご専門とされ、近現代日本政治思想史についてご研究されています。特に近代日本の言論人に大きな関心を持ち、その人物研究の過程からその人となりや生活にも大きな関心を寄せるようになったそうです。今回のカフェでは「散歩と肉と鉄の棒~近代日本の偉人と健康法~」というテーマで、近代日本の偉人と筋トレを含めた健康法の2つのテーマを融合して、お話していただきました。
<健康とは何か?>
歩くとか走ることに昔から興味をお持ちの先生。もともと体の弱かった先生は中学・高校時代に陸上部に所属(専門は短距離)しており、その関係で筋トレに興味を持ち、また高校では「強歩遠足」という24時間歩き詰めの行事を体験されるなど、歩くことに深く関わってこられたそうです。最近では、NHKで放送された「みんなで筋肉体操」のトレーニング法に夢中だということです。
先生は近代日本の偉人たち、とりわけ福沢諭吉や長谷川如是閑、徳富蘇峰ら著名な言論人がきわめて長寿だった点に着目して、これまでの政治思想史とは違った観点から、彼らの健康に関する史料を集めているそうです。「彼らなりに気をつけていた健康法ってあるのかな?」と、先生は健康を政治学的な観点から、とりわけ当時の国民の管理としての健康の在り方について、切り込んでいかれます。
最初に、「健康」という言葉の定義についてのお話です。江戸時代まで「健康」を意味する言葉として「養生」や「養性」が一般的に用いられていたといいます。意味するところはほぼ同じでも、「養生」とか「養性」という言葉は儒学に由来する言葉で、その解釈は論議者によって様々です。なかでも代表的なのが「人間の命というのは天から与えられたもの。生まれた時点ですでに運命が定められている」というもので、その定められた命を全うするために、いかに不摂生なことをしないか、どう生きるかという考え方が「養生」に込められた意味だったそうです。
一方、「健康」は、より長く生きる、病気にならないためにはどうすればよいかという点を重視しており、生きることに対してより積極的な意味がこの言葉には込められているそうです。「日々の積み重ねで天から与えられた命をきちっと全うしよう」という「養生」との違いは明らかです。
福沢諭吉は当時の平均寿命が30~50代だった時代に67歳まで生き、徳富蘇峰や長谷川如是閑は90歳を超える長寿でした。もちろん夭折した言論人の中にも世論に影響を与えた人物がいましたが、福沢や徳富らは長寿である分、活動期間が長く世論に及ぼす影響力がより大きかったともいえます。
ここで先生から質問です。「福沢は当時の成人男性としては随分と大柄でしたが、彼の身長は最高でどのくらいだったでしょうか?」
答えは参加された方の特典ですので、ここでは伏せておきましょう。当時の政治男性の平均身長と比べると非常に高身長だったそうです。福沢は晩年に大病を患い、そのつどいろいろな健康法を試され、最終的に散歩に行き着いたということです。
<「政治」と「健康」>
「健康」を学問的にとらえると、「国民」という概念と密接に関係していると先生は仰います。近代国家は国民国家として成立しますが、政治が国家を構成する「国民」を管理していく中で、「健康」という概念が出てくるというのです。国民が健康であることが「富国」にも「強兵」にもつながっていくと考えられたからです。そして、「秩序」が形成される過程で「健康」は、政治と不可分の関係を持ち始めることになります。きれいな街とか下水処理といった「衛生」という考え方は、いかに病気のない「文明」をつくるかというところで「健康」とつながるそうです。このように、「天から与えられた自分がどう生きるか」という「養生」は、国家が国民に要求する「健康」へと変化していったそうです。
当時の雑誌には、健康特集が多く取り上げられていることが先生から紹介されました。
<3つの健康法>
それでは福沢諭吉や長谷川如是閑らは、どのような健康法をしていたのでしょうか?
①「棒を振り回す!」
病弱だった長谷川如是閑は、様々な健康法を実践していましたが、ある時に剣術の道場を見て「よさそうだ」とひらめいたことがあったそうです。それが棒を振ることです。最初は普通の木の棒だったのが、徐々に物足りなくなって重さを増やし、最終的には車輪の心棒、つまり鉄の棒にまで及んだといいます。
②「肉を食らう!!」
福沢諭吉は無類の肉・牛乳好きだったといいます。ここで先生から再び質問です。
「ある日届いた牛乳瓶に髪の毛がついていたことに福沢は激怒しましたが、その時に責任者を呼んで説教した時間はどのくらいか?」
これも解答は伏せておきますが、驚くほど長時間だったそうです。それほど肉・牛乳好きだった福沢は、当時、肉食の悪いイメージを払拭するために、肉食業者の依頼を受けて「肉食之説」を執筆しました。
長谷川如是閑も医者から肉食を勧められ、日給40銭の生活にもかかわらず毎日40銭の肉を食べたといわれています。
③「歩くのが一番(ウォーキングのススメ)!!!」
これは今でいうウォーキングにあたるもので、大病後の福沢は毎朝早く、1~2時間のあいだ学生との散歩が日課でした。望月先生ご自身も、長年続けられている健康法だそうです。
ここで先生から最後の質問です。「福沢諭吉が散歩に出発する前の朝5時に、玄関で何かを大音響で鳴らしていました。それは何を鳴らしていたのでしょうか?」この答えは現代ではびっくりするような楽器で、早朝から近所に住む学生を巻き込んでまで散歩をしていたようです。さあ、なんだったんでしょうね。
徳富蘇峰や長谷川如是閑も、若い頃から晩年まで毎日何キロも歩くほど、非常に健脚でした。
歩くということに着目すると、1930年代末から40年代初めの時期にかけて、厚生省が中心となって「健民運動」が展開されます。その一つとして歩くことが推奨され、長距離歩行の行事などが数多く催されました。先生が高校時代に経験した強行遠足が全国から注目されたのもこの時期です。このように歩くことが注目されたのは、それが誰でもお金をかけずに気軽にできるものだったからです。
<体を鍛えるために>
最後に先生からのアドバイスです。
今回の内容に興味を持たれたら、是非とも健康観を思想史的に取り扱った鹿野政直『近代日本の健康観』(朝日選書、2001年)をお読みいただきたいです。もし体を鍛えたいと思われたら、次のことを心掛けてください。お金をかけない、何かのついでを活用する、無理をしない。健康そのものを目的とするより、自分が生きて何をしたいかを考えること。健康はあくまで手段であって、目的化すると難しい。ウォーキングや手軽にできるものなど、できることをするというのが一番いい。とりあえず筋肉体操をしましょう、と先生の目が輝いています。
<質疑応答から>
後半は質疑応答です。活発な質疑応答のうちから、印象的な議論をご紹介しましょう。
Q1 「強行遠足」という行事はどこの学校であるものなのでしょうか?
A1 昔は多くの学校で実施されていたようですが、死亡事故や交通事情などにより随分と取り止めになったようです。
Q2 今日見せていただいた超人の写真(若木竹丸)ですが、筋肉を鍛えるためのトレーニング以外にも、当時、今でいうプロテインを飲むような食生活を重視しつつ筋トレをしていたのでしょうか?
A2 筋トレは1日15~6時間していたそうです。一日15時間、ダンベルをずっとしていたというエピソードが残っています。たぶん質より量でしょう。すごいですね。1920年頃、今から百年ぐらい前の話です。食生活は不明です。何かあったのかもしれません。当時の栄養学は、今と比較すると劣っていますが、どういうものを食べればよいのかについての知識は当時の日本にも入っていました。アメリカなど海外経由で、ボディビルダーの先駆者にあたる人がそれに関する本を翻訳しています。プロテインかどうかはわかりませんが、食生活の面での工夫はあったようです。
Q3 今のお話で、健康に気を遣う人は、自分をすごく大事にしたい傾向の人たちですね。自分の健康に関心をもって健康法に取り組む人と、自分のことを大事にできない環境の人には、どのようなところに違いがあるのでしょうか?
A3 福沢や如是閑らは、「個」や「主体性」が確立していました。特に福沢は、自己の確立が、日本の独立につながる、「一身独立すれば、一国独立する」の言葉に示されるように自分を社会や国家の中に位置づけていました。一方、自分自身を傷めつけてしまう人は、社会の中で「自分の存在は何なのか」を見いだせないのではないでしょうか。社会の中での位置づけを「私はこういったところで一つ組織の中で役立っている」という自覚や他者からの承認があればいいのですが。それを感じられない人は、結局、自分自身の存在意義を見失い、そういう行動に出るのかなと思います。ジャーナリストは「社会の木鐸」としての自負や使命意識を良くも悪くも持っているので、「それを言わなきゃいけないんだ」という傾向が見られます。だからこそ「俺が倒れたら」という意識につながってくるのかなと思います。
Q4 当時の健康って軍隊でのトレーニングという意味での健康と、自分自身のための、心身の健全のために自由な健康とあると思うのですが、後者の方は当時どれぐらい文化としてあったのでしょうか?
A4 当時、何をもって尺度というかですが、雑誌、今でいう女性雑誌にあたる、『婦人之友』『主婦之友』あるいは『実業の日本』の目次を見ると多くの「健康特集」が組まれています。大衆向けの本でこうした特集が組まれるところをみると、それなりにニーズはあったようです。どれぐらい普及していたのか定かではありませんが、1920~30年代ぐらいになると、ほとんどの総合雑誌にこの種の特集が出ています。『実業の日本』の特集号「健康大観」は、1900年代の一桁台に刊行されています。
Q5 都市化、近代化の大きな社会の中で個人が生まれてきて、どう生を全うするか、ミクロのレベルでどうやって生きていくのか、今回の話に出てきて面白かったです。僕の専門のドイツでは、近代化で「精神」が損なわれていく中、どのように肉体を鍛えながら精神を維持していくかという話が出てきます。これは今にも通じる話で、皆さんも聞きながら自分自身のことを考えていたのではないかと思います。動くと気持ちが落ち着いて、論文を書いた後に動くとすごく爽快でストレスが発散できます。そういう単純な肉体的な喜びだけでなく、自分が強くなるという感覚も得られていいのかなと思いました。
A5 三島由紀夫の場合は幼少期に女の子のように育てられて、それが一つの要因となって筋骨隆々とした人に憧れて、後に自衛隊に体験入隊したりボディビルにはまったりしました。私も子どもの頃は病弱でした。今どうして鍛えているのかといえば、走ることや筋トレなどが習慣化していることもありますが、たぶんかつての弱々しかった頃の私が抱いていた健康な肉体への憧れが影響しているのかなと思います。「強行遠足」は、まさしく肉体と精神を鍛える目的で100キロ歩く。制限時間は午後2時から次の日の午後0時まで。夜中、山を歩いて越えるんですけども、遠くで野良犬が吠えている。周りに人はいないし眠くなる。そこで寝てしまったらゴールに着かない。こうして自分自身の「壁」を乗り越える経験をすることが、その行事の醍醐味なのだと思います。あと2、3年で100回になるそうです。
<おわりに>
棒を振り回したり歩き回ったり、昔の健康法から得る気づきがいっぱいのひとときでした。まずは先生おすすめの筋肉体操から、さっそく始めてみたいですね。それでは次回のコモンズカフェをお楽しみに。
(文章:岩﨑友明 アカデミック・インストラクター)
[付記:今回の記録はテープ起こしをしてくださった方のお力で作成することができました]