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COMMONS CAFE <コモンズカフェ>

開催日:2019年01月28日 今出川

[第31回コモンズカフェ]同志社大学社会学部教授 板垣竜太「銀閣寺と朝鮮学校」

第31回コモンズカフェ開催記録

<はじめに>

20190128_01 今回のコモンズカフェは社会学部の板垣竜太(いたがき・りゅうた)先生をお招きし、「銀閣寺と朝鮮学校」というテーマでお話いただきました。先生は朝鮮半島の近現代社会史、20世紀を中心に朝鮮にルーツを持つ人々がどのように生きたのかについて、社会史的観点から研究を進めておられます。

 「銀閣寺と朝鮮学校」は、知っている人にとっては何のことかわかりますが、知らない人にとっては「なんだ、この取り合わせは?」というタイトルです。今回は京都市左京区、銀閣寺のそばにある「京都朝鮮中高級学校」について、その歴史や地域との関係、先生がかかわられている「坂道ぷろじぇくと」についてお話いただきました。

 

 2005年に公開され話題になった映画「パッチギ」。内容自体はフィクションですが、その舞台になったのが京都朝鮮中高級学校(以下、京都中高)であり、商店街のある銀閣寺の参道でもロケが行われました。京都中高は銀閣寺のすぐそばにあります。哲学の道や疎水を横目に上がっていくと銀閣寺橋、商店街に出ます。突き当たりが銀閣寺ですが、そちらに入らず2度道を曲がり奥へ進むと、三叉路があります。右側に行くと大文字山への登山道で、ここを左に行くと京都中高があります(朝鮮学校は学校教育法上、自動車教習所などとも同じ「各種学校」という扱いを受けているため、中学校を「中級学校」、高校を「高級学校」としています)。朝鮮学校は朝鮮にルーツをもつ人々に民族教育を行うために建てられた教育機関で、京都には3か所、全国に50校ぐらいあるそうです。

 朝鮮学校は、日本社会からすれば「異質」な存在です。その民族学校が、なぜ伝統的・歴史的な地区に建てられたのでしょうか。そして、地域社会と朝鮮学校はどのような関係性を育んでいったのでしょうか。

 

<「坂道ぷろじぇくと」と「社会調査実習」>

 板垣先生は現在、「坂道ぷろじぇくと」という社会的実践、ゼミ・授業の一環としての「社会調査実習」、それを通しての研究に取り組んでおられます。「坂道ぷろじぇくと」は2017年12月に発足し、京都中高の卒業生、民族団体の青年たち、オモニ会(PTA)、研究者、近隣住民などで構成され、先生は支援者として関わられています。「ぷろじぇくと」には、先に紹介したなんとなく「入りづらい」朝鮮学校への坂道を整備し、そこを通って多くの人に京都中高を見て知ってもらい、支援の輪を広げていこうというコンセプトがあります。

 この背景として近年の朝鮮学校に対する偏見、差別、攻撃があります。「北朝鮮バッシング」と連動して、民間、あるいは日本政府から「朝鮮学校に対する偏見、差別」が行われている、と先生は仰いました。最近の例では、2009年12月、京都朝鮮第一初級学校に排外主義団体が授業中に押し寄せてきて、「北朝鮮に帰れ」というヘイトクライム(hate crime)を行いました。また、2010年から高校無償化制度が始まり、他の各種学校に認可されている外国人学校が適用対象になったものの朝鮮学校は対象から外されました。このような不穏な状況のなか、なんとか理解者、支援者を広げたいという意図があります。

「坂道ぷろじぇくと」ポスターより

「坂道ぷろじぇくと」ポスターより

 坂道の整備が「ぷろじぇくと」の中心ですが、関わっている人たちによる「こんな風になったらいいな」というアイデアが、「ぷろじぇくと」を駆動させています。坂道をのぼった人が最初に訪れる場所として展示室、学校博物館をつくり、また授業公開の時間に合わせるなどして授業を見られる仕組みを現在つくっています。地域連携部会や広報部会を組織してパンフレットを発行したり、商店街マップに朝鮮学校へのガイドを掲載し、お店に置いてもらうことなども構想しているそうです。

 また、この「坂道ぷろじぇくと」と連動して、2018年度に社会学部社会学科の「社会調査実習」で企画を立てました。「朝鮮学校にとっての地域社会とは何で、地域社会にとっての朝鮮学校とは何だろう」という問いを立て、京都中高と地域社会への調査を行いました。学校の沿革史、卒業文集、個人のアルバムや土地の登記簿、新聞などの文献調査、京都中高の卒業生、地域社会の日本人へのインタビューなどを通じて、朝鮮学校の生徒たちの地域社会経験、地域社会住民の朝鮮学校経験などを総合的に描いていく予定で、研究としても面白いものになりつつあるそうです。

 朝鮮学校、京都中高の歴史を簡単に振り返ると、「朝鮮学校の起源」は、簡単には言えないですが、直近は植民地支配からの解放(1945年8月)直後の動きがありました。それまで朝鮮語や朝鮮の歴史の教育は禁止されていましたが、解放後、様々な場所に民族教育施設が在日朝鮮人によってつくられ、京都だけでも1947年時点で37校にまで増えたそうです。解放直後は日本の非軍事化、民主化が進められ、こうした動きも歓迎ないし黙認されていました。しかし冷戦の論理が深まる中で1948年以降、占領軍・日本政府は朝鮮学校への圧力を強め、1949年から50年にかけて、京都ではほとんどの朝鮮人学校が強制的に閉鎖されます。

 しかし、そこにいた在日朝鮮人によって「民族教育の再建」が叫ばれ、1953年に「京都朝鮮中学校」が円町にできました。その学校も生徒数が増えて、移転先として見つかったのが銀閣寺の近くです。土地登記簿を調べたところ、最初は国有地だった山林で、1920年代に民間に払い下げられ、民間で何度も所有権が変わる中で1955年、京都朝鮮学園が取得することになったそうです。

 

<地域社会における京都中高―インタビューを通して>

 銀閣寺町の人々のインタビューからは、当時の京都中高と地域社会の人々との関係を知ることができました。

 京都中高ができる以前、建設されることになった土地は池があって、「子供たちにとっての遊び場」であり、半分冗談気味に、「あそこに学校が建てられることには子どもが一番反対していたと思う」と語られたそうです。逆に言うと、大人はさほど反対しなかったようです。また、京都中高の落成に関しては、当時の銀閣寺町の自治会長が朝鮮学校に強い共感を示していたことや、革新系の人たちとのつながりが一役買ったことが明らかになりました。京都中高と地域の子どもたちとの関係については、近所の日本人の子どもが朝鮮学校の子どもたちとグラウンドで野球をした、木の実を京都中高の先生が鍋で炒ってくれて一緒に食べた、といったエピソードをうかがうことができたそうです

 また、京都中高の卒業生に思い出を語っていただくと、ほぼすべての世代から「まさ」という食堂の名前が出てきました。「まさ」は、1972年に「たこ焼き屋 お好み焼き屋 まさ」としてオープン。1977年に改装して食堂「まさ」になり、その後2009年まで営業していたお店です。1970年代に通った方は「まさっていうのは昔からのたまり場で僕らの時はお好み焼き屋やった。昼休みの時間に走っていってご飯食べて帰ってくる」と語ったそうです。昼飯を外で食べるのは一応禁止されていますが、朝鮮学校は給食が基本的になく、弁当もつくる余裕のない親もいますので、そういう時に重宝していたようです。2018年に京都中高65周年式典があった時、「まさ」のご夫婦が歴史館に展示されている卒業アルバムを懐かしげに「これ、あいつや、あいつや」と思い出しながら見ていたそうです。

 かつて、「まさ」の近所のお店では「朝鮮人は入れへん」という空気があったそうですが、このおばちゃんは京都中高の生徒たちと肌身の付き合いをしていく中で、「もともというたら日本人のほうが悪いやん、ここで意地悪することないわ」という考えで、差別する空気に対しては「そういうことはあかんって子どもにも、よういうたわ」という感覚でした。「まさ」は先の式典でグラウンドに売店を出し、生姜焼き100食を完売しました。そのとき卒業生が「今日は授業を抜け出さんでも、ご飯食べられた」と、おばちゃんとしゃべっていたそうです。「まさ」と京都中高の生徒の関係。これが京都中高の近隣で最も密接だった事例だそうです。

 

 板垣先生は最後に、朝鮮学校という教育機関の特殊性についてお話しされました。

 

 朝鮮学校に通うのは、ほとんど日本語がネイティブ・ランゲージである子どもたちです。朝鮮学校の中だけは人工的に朝鮮語の空間をつくり、言葉のシャワーを浴びます。つまり、あえて周辺の環境から朝鮮学校を空間的に切り離すことで「民族教育」を可能にしています。「地域社会との関係を断つ」ことは「民族教育」にっては大事な部分ではあるのですが、他方で地域社会の中に朝鮮学校がある以上、様々な形で関係が形成され、そこには様々な経験があります。「場所の経験」というのは、すべて何かの関係性の産物として存在しています。そういう関係性の蓄積の上に今日の関係性があるということでもあります。その意味で「坂道ぷろじぇくと」も、今後の進展に期待してください。

 

 民族学校・朝鮮学校はその性格上、日本社会・地域社会にとって「異質」となることも必要であるというこのジレンマは、「ぷろじぇくと」の難しさと意義を示してもいます。これについて、次に紹介する二つの質問は、人と人とのつながり、関係性を考えるうえで印象的なものでした。

 

<質疑応答から>

20190128_03Q 日本人学校に通っていた在日です。「まさ」の話など、地域社会との共生があった印象を受けますが、現在と当時の状況を比較すると、何がちがっていたのでしょうか。

A 比較することは難しいです。昔の方が日本の制度から排除されていて、国民健康保険や国民年金にも入れませんでした。就活しても最初から門前払いというのが1960、70年代までは一般的だったので、「在日は在日の世界で生きる」のが基本になっていました。「まさ」みたいな密接な付き合いがあるのは、特殊事例だと思います。逆に言うと、中高生も他の店などは素通りしているわけです。しかも「まさ」のおばちゃんなんかは、見るからに「ヤンキー」の学生との方が、仲がいいんです。この点も面白いところで、「まさ」はほとんど男社会で、女子生徒たちは実は行ったことがなかったそうです。また、上級生しか行けないという雰囲気を漂わせていたので下級生は行かないとか。その意味で限定的な人のなかでの付き合いでした。社会的にはもっとケンカなども頻繁でピリピリしていたし、今とはまた違います。

 今はもっと制度的な形で合理性を装って差別するところが強くなっています。その一方で、ネット社会をベースに出てきた「在特会」みたいな非常に過激な排外主義団体もあります。その間にいる一般の人たちは、ほとんど見て見ぬふりをしている状況が現状ですね。1960、70年代には露骨な差別が今より日常的にあったというのは誰からも聞くところですけども、どっちがよかった、どっちが悪かったかではなくて、形がどんどん変わってきているという感じですね。

 

Q 今回の朝鮮学校の調査を通して、日本社会における外国人との共生、外国国籍のある方との共生のあり方に対して何か提言できそうなことがあるでしょうか。

A この数か月間で外国人労働者の受け入れに対する政策の大転換といえるものがありました。非熟練労働者を直接受け入れる枠組をつくるものです。もちろん外国人が日本の中で共生し、一緒に働いていく、そういう社会をつくることが必要です。と同時に、政府の口調が非常に気になるわけです。「これは移民政策ではない」とか「必要でなくなったら、いいです」というような、そういう口調ですよね。相手は人間なんですが、「外国人材」とか何か素材のような言い方をしています。その人の人生があり、家族がいます。子どもが日本に来たら教育の問題があります。その時々の労働市場の必要だけで回していると、いろんな歪みが起きる。在日朝鮮人は、日本の外国人政策を考えるときに悪い意味での先駆的な存在といえます。戦前までは「日本の国民」で、戦後は「もう外国人だから、できればお帰りください」という形でほとんど放置していたのが戦後の在日朝鮮人の姿です。日本の外国人政策というのは、そこを基調に出来上がってしまいました。今になって「労働力が足りない」ということで受け入れ始めていますが、根本にある「人が人として生きており、そこには人生があり、生活がある」ということをしっかり捉えずに、単なる素材主義や道具のように扱う限り、同じことをさらに別の国籍の人に行うだけになってしまうと思います。

 私の研究も、新たな外国人受け入れの枠組みをどうするか、日本社会と外国人教育をどうつなげるかという時の一つのモデルにならないかなということを実は考えながらやっているところもあります。具体的にどう応用できるかは難しいところではありますけどね。もう在日4世、5世の時代になっています。1世、2世の時代とは大分、違います。そういうことを考えるきっかけにもなってほしいなと思っています。

 

<おわりに>

 朝鮮学校と日本社会・地域社会とを隔てる「坂」は、少しずつ形を変えながら今も存在しています。「まさ」のようなエピソードはやはり特殊事例で、当時も今も様々なレベルの「坂」が、朝鮮学校の生徒たちを取り囲んでいます。しかし板垣先生は、その「坂」を飛び越え、また「坂」と思わないような方たちの交流が確かにあったことを、お話しされました。

 また、朝鮮学校の特色だけでなく、銀閣寺と商店街が近くにある京都中高という場所ならではの、関係性の蓄積も非常に興味深いものでした。京都で、そして尹東柱の碑(今出川校地)がそびえる同志社大学で学んでいるわたしたちの「今」を、見つめる機会にもなりました。「今」の日本に暮らすわたしたちに求められているのは、社会に張り巡らされている「坂」を見つけられる眼力と、その「坂」を駆け抜け、飛び越えていく脚力かもしれません。

 

 ※ 「坂道ぷろじぇくと」に関心のある方は、ぜひこちらの公式facebookページにアクセスしてみてください。

 

(文章: 梅谷聡子、大崎祐馬、大槻和也、小野魁己、金汝卿、平石岳(順不同) ラーニング・アシスタント)
[付記:今回の記録はテープ起こしをしてくださった方のお力で作成することができました]

 

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