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COMMONS CAFE

Date:2018.02.06 今出川

[第28回]同志社大学 グローバル地域文化学部准教授 王柳蘭「多元的なアジアの香り—辺境のにぎわい—」

第28回コモンズカフェ開催記録

<はじめに>

 今回のコモンズカフェでは、グローバル地域文化学部の王先生01王柳蘭先生をお招きしました。王先生は文化人類学をご専門とされ、地理的、文化的、宗教的に辺境に位置する国境周辺の人々について長年ご研究されています。今回のカフェでは「多元的なアジアの香り――辺境のにぎわい」というテーマで、フィールドワークを通して見た辺境で生きる人々のリアルな姿についてお話をしていただきました。

<当事者の世界観に寄り添って>

 近年、移民・難民に関する議論がグローバルな規模で盛んになっています。中東からヨーロッパへと押し寄せているシリアやパレスチナの移民・難民、外国人に対するヘイトスピーチ、外国にルーツをもつ子どもたちへの嫌がらせの問題など、国民国家の単位で国際社会を理解すると、移民・難民は国家の「枠外」に存在する主体として問題視されています。国民国家を基礎とした国際関係のレベルで移民・難民を分析すると、政治的・経済的・政策的な視点によって「枠外」の人々が考察対象となります。しかし、王先生のご専門である文化人類学とは、「当事者の世界観に寄り添う」ことで研究を進めていく分野です。そのため、王先生は、「そこに住む人々の価値観で世界をみていく」という人類学的視座を通じて、移民・難民といった国家の「枠外」にいるとみなされる人々のご研究をされています。

 王先生の主な研究地域は、タイとミャンマーの国境周辺に位置する北タイの移民・難民の村です。国境周辺のタイに住む中国系ムスリムの調査によって、「枠外」に生きる人々の姿から多くのことを学んだと王先生は強調されます。昨今の移民・難民問題に対して、文化人類学の強みである「当事者の世界観に寄り添う視点」は、何かしらのメッセージを発することができるのではないでしょうか。このような問題意識を出発点として、本日は、王先生の主要調査地北タイにおいて、少数派・差別される人々というイメージを越えて、「枠外」で生き生きとサバイブする人々の魅力的な姿についてお話していただきました。

<辺境のにぎわい>

 王先生ご自身、多文化が併存するご環境で育ったそうです。自分自身の問題を深めつつ、多様な世界を見るという学問(文化人類学)に出会った王先生は、長年、移民と多文化、宗教の課題について関心をお持ちです。王先生のご研究は、現地タイを訪れた際にたまたま出会った「辺境に住む人々」の姿に魅了されたことでスタートしたそうです。本日お話いただいた調査地は、主に北タイのチェンマイからさらに国境付近となるチェンラーイ、メーホンソーン県の周辺です。調査地の様子が参加者によく伝わるように、王先生が実地調査の際に撮影された北タイの村むらの写真を見せてくださりました。先生のお話とお写真からは、ミャンマーから商品を背負ってタイに到着し、タイで物品を売りさばき、その後ミャンマーに帰っていくことで商売をしている人々の姿など、活気あふれる国境周辺の様子が鮮明に伝わってきました。ミャンマーとタイの国境では、アメリカ合衆国とメキシコの国境で問題になっているような「壁」としてのバリケード機能は、さほど確認されていないそうです。そこでは、非常に緩やかに、商人や物が行き交います。

 この交易路では、中国からの商品も数多く流通しています。中国の雲南は東南アジア・南アジアへの接点であるため、かつて多くの人々が移動を通じて生活していました。現在中国の交易は、「一帯一路」といって西や南の方へも広がり、海のみならず、陸のシルクロードも展開しているようです。交易が繰り広げられる国境では、モスクを中心にイスラームを信仰する人々が、タイ語や中国語を話しています。タイは人口の97%が仏教徒であるといわれています。そのなかでも、とくに南部はマレーシアとのつながりからムスリムの人口率が高いのですが、北部では、仏教徒が圧倒的にマジョリティとのことです。ところが、王先生の調査によって、北タイ住む中国系ムスリムの人々が、マイノリティとしてではなく、「にぎわう辺境」のなかで勢いを増しつつある存在であることが明らかになりました。様々な文化的・宗教的・民族的要素がまじりあうなかで、活発に自らの文化を発信する中国系ムスリムについて、具体的にお話していただきました。

<アイデンティティをもって生きる>

 王先生がご注目されてきた北タイに生きる中国系ムスリムは、どのようなバックグラウンドをもつ人々なのでしょうか。王先生の研究対象地は、1949年前後に中国が共産党支配で内戦状態に陥った際、争いを逃れて陸路でミャンマーに逃れてきた人たちが住み着いた村です。その後、数十年をかけて避難民としてやってきた中国人が、この地で生活圏を形成してきたそうです。この避難民たちが自らの生活を立て直すプロセスが進んだ1990年代中期より、王先生は調査を開始されました。軍人であれ、商人であれ、故郷から切り離された人々の生き方を、どのように捉えるべきか、という問いを立てて王先生はご研究されています。

 国際関係の視点では「枠外」に阻害されたとみなされた人々――すなわち、国籍のない状態に置かれていた人々、マイノリティとして生きざるをえなかった人々――が、自らの「絆」「共同体」をどのように築き上げていったのか、このことを王先生は文化人類学の立場から解き明かそうとしました。王先生は、辺境で生きるムスリムの食文化、言語、宗教を中心にみていくことで、「自分自身のアイデンティティをもって生きる」ことの大切さを彼ら・彼女たちが教えてくれたとおっしゃっていました。

<多元的なアジアの香り:宗教・言語・食文化>

 中国からミャンマー・タイの国境周辺に逃れてきたムスリムのなかには、多くの単身中国人男性がいました。彼らは、タイ人女性と結婚し、彼女たちは、結婚によってムスリムへ改宗します。そのため、おのずとムスリムの人口は増え、ムスリムのコミュニティが形成されていきました。国境地帯であるため、インド系のムスリムも住んでいるそうで、ムスリム間の交流も拡大・深化している側面があるそうです。チェンマイのモスクの外壁には、中国語・アラビア語・タイ語で書かれた扁額が掲げられています。仏教が主流の北タイにおいて、ここ50~60年のあいだで、移民としてやってきた中国系ムスリムがイスラームのモスクを建立し、多文化・多宗教の世界を形成してきました。

 こうしたイスラームのコミュニティが栄えてきた背景には、イスラームの大切な教え「喜捨の精神」があります。北タイに移住した難民たちは、タイ政府からも国連からも支援を受けることはありませんでした。そのため、自らのコミュニティ内で喜捨をすることで、互いに支え合って生きてきました。ラマダーン(断食)の際は、中国人・インド人・ミャンマー人が食卓を共にし、モスクが準備した食事を分かちあいます。断食後のお祭りでは、モスクに喜捨を求めてタイやミャンマーから宗派に関係なく人々が集まります。普段は仏教徒の人が、お祭りの日はベールをかぶりムスリムとなり、喜捨を求めてモスクに足を運ぶ、このような光景もしばしば観察されるそうです。北タイの中国系ムスリムの豊富な資金力・コミュニティ力は、国をまたいだミャンマーの人々のあいだでも評判です。また、断食月のメニューには、中国料理にアレンジを加えたハラール食も登場します。伝統を守りつつ、多民族・多宗教間での交流を促進することで、北タイの辺境は今日もにぎわいをみせているのです。

<「枠内」「枠外」の二元論を越えて>

 王先生は、当事者の世界観に寄り添うという姿勢に基づいて、国境周辺に住む人々のライフストーリーを聞く研究も実施されています。出身地・出生国から移住した経緯、故郷に残してきた家族・思い出、そして新境地タイで見つけた新たな人生――個々人の「物語」に耳を傾ける王先生の研究は、わたしたち誰もが持つ人生のストーリーの大切さを描き出します。近年では、国境の行き来が可能になったため、中国の家族とタイの家族がつながることも可能になりました。国境が閉ざされていた時期は、出身国に残してきた家族に会えないという辛いときもありましたが、現在では両国の文化交流の場として「家族」は機能しています。

王先生02 宗教、言語、食生活、文化など、移民・難民によって形成された北タイ地域は、国境を無法地帯であるとみなす考え方の問題点を露わにします。国境は管理・統制の対象として理解されることが一般的ですが、王先生の地域研究の結果からは、そこに集まる人々のポジティブで能動的な営みによって秩序が形成されてきたことが示されているのです。移民・難民は無力であるというステレオタイプをわたしたちは持ってしまうこともありますが、王先生は、むしろこうした人たちのもつ「生きる力」には意味があると提言します。マイノリティとして認識されがちな人々が、辺境の地で地域を創造的に変革するネットワークを築き上げてきたのです。王先生は、「枠内」に生きる私たちは「枠外」に生きる人々から学ぶべき点が多い、と参加者に伝えてくれました。もちろん、北タイの事例では、移民・難民の移住が始まった20~30年ほどは、彼ら・彼女らとタイ政府との間で緊張関係がみられる時期もありました。しかし、50~60年たった現在、この地域は繁栄しています。この事実は、移民・難民への理解が、長期的な視点に基づいていなければならないことを示唆しています。

<質疑応答から>

 ここからは質疑応答です。活発な質疑応答が多々行われましたが、ここでは、印象的な議論を二点ピックアップしてご紹介します。

① Q. 故郷を離れた人たちの歴史を残す動きについて教えてください。

A. ある事例をお話しましょう。19世紀末に清朝との闘いに敗れ、ミャンマーに逃れた中国のムスリムの首領がいたのですが、その末裔にあたるおばあちゃんからミャンマーについていろいろなことを教えてもらいました。この方は、自分たちは中国のムスリムのリーダーの末裔であるという意識をもっていて、自分たちの王はすごかったとか、山地民とどう戦ったか、イギリス植民地政府に利用されて辛い思いをしたとか、そういったことを中国語で書き残しており、私はこのようなお話を翻訳したりしました。同じコミュニティでも文字が使えて歴史を残せる人がいる一方で、文字が使えず残せない人がいます。残せるグループの人にはそのまま残してもらって、残せないグループの人にはオーラルヒストリーとして語ってもらい、ライフストーリーを残していきたいと考えています。また、外部の研究者が「残したい」と思う歴史でも、当事者の2世、3世の人たちはあまり重要だとは考えておらず、ジレンマを感じることもあります。

② Q. 文化人類学でフィールドワークを進めるにあたって、知らない人たちとファーストコンタクトをどうやってとっていくのでしょうか?また、どのように関係を築いていけばよいのでしょうか?

A. 人類学の基本は「計画がつぶれることは成功だ」ということです。私がフィールドの人々に出会ったのは、植物調査で北タイの山岳地域を横断して調査していたときです。植物採集をやっていた最中に様々な村を訪れ、偶然そこで知り合いになりました。もともとムスリムのことを勉強していたわけではなく、出会ったというか、こういうコミュニティがあると知って、また、こういう人たちがいて、立派にコミュニティを作っていることが見えたわけです。たとえ目に見えたものについてよく知らなかったとしても、好奇心を大事にしてそこから入っていきます。地域研究で大事なのは、メディアの後追いをするのではなく、自分が現実で見たことを発信していくことです。研究計画がうまくいかなくても別のつながりができることがあります。大切なことは、わからないことがあっても、その後ろに広い未知の世界が広がっていることがあり、その扉を開いていけばいいのではないでしょうか。「人類学は失敗が基本で、失敗を通じて何かがわかるきかっけになれば、うれしいしチャレンジしがいもある」ということだと思います。

<おわりに>

 従来、「国境」に対する私たちのイメージは、メディアで取り上げられるアメリカとメキシコの国境、中国と北朝鮮の国境のような「暗さ」や「社会問題」といったネガティブな印象が強いといえます。しかし、今回のお話からは、「明るさ」「緩さ」「盛り上がり」といった国境への大変ポジティブな印象を受けました。フィールドワークの視点から見た辺境に住む人々の生き生きとした姿は、私たちの固定観念を崩すものでありました。近年日本でも移民問題が話題になっていますが、一見マイナスなイメージが強い「移民」についても、王先生がお話されたような「長期的な視点」で見れば、プラスの面ももたらされるかもしれません。


 今回のコモンズカフェは、ラーニング・アシスタントが中心となり、企画・運営を行いました。ゲストである王先生のご協力もあり、当日は近日稀にみる数多くの参加者にお越しいただき、大変活気のあるコモンズカフェとなりました。良心館ラーニング・コモンズの「にぎわい」を垣間見ることのできた1時間でした。

 

構成と文章[村田陽(法学研究科LA:開催時)・小野魁己(社会学研究科LA)]

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