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COMMONS CAFE

Date:2016.11.17

[第21回]同志社大学 グローバル教育センター准教授 ジョージ セキネ ソルト「ラーメンからみる日米の歴史と文化」

  第21回コモンズカフェ開催記録

<はじめに>

 今回のコモンズカフェではグローバル教育センターのジョージ セキネ ソルト先生をお招きしました。先生のご専門は食物史、国際関係論です。

 日本の国民食ともいわれるラーメン。この歴史を辿った先生の著書に『ラーメンの知られざる歴史』(野下祥子訳、国書刊行会、2015年)があります。もともと本書は日本のラーメン文化をアメリカに向けて説明した英語の本でした。日本語に訳されたことは非常にありがたかったとおっしゃいます。

<ラーメンとアメリカの食料政策>

第21回ソルト先生_3 アメリカ人にとってラーメンというと、学生がよく食べることもありインスタントラーメンのイメージが強いのだそうです。よって、まず日本のラーメン像を説明するところからはじめました。米国のラーメン(とくにベジタリアン向けのものが流行っているのだそうです)と日本のラーメンの違い、鹹水(かんすい)とは何か、トッピングの組み合わせ……そういった特徴の説明が始まりました。もちろん、海外と日本のラーメンの違いだけではありません。昔と今の日本のラーメンはどう違うか、と歴史を踏まえた丹念なお話がはじまります。

 ところでラーメンがこれほどまでに日本の国民食となった理由はなんでしょうか。先生によると、アメリカによる占領政策、食料政策が大きな影響を与えていたとのことです。いまでは当然の国民食ですが、その源流にGHQが出てくるわけです(そこに繋がるとは驚きですよね!)。

 戦中や戦後直後にはラーメンはスタミナ食であったのだそうです。ラードと小麦粉をふんだんに使い、腹持ちがよく、食糧危機からすると非常に都合のよい食べ物でした。1949年ごろには食糧危機がひとまず落ち着き、屋台等が合法化されます。小津安二郎の映画『秋刀魚の味』(1962年公開)には、中流階級と労働階級の交流を描写する小道具としてラーメンが登場します。その後、1980年代、バブルとともに若者文化の象徴となってゆきます。伊丹十三の映画『たんぽぽ』(1985年公開)ではそのような描写があります。ソルト先生は子供の頃、東京、杉並区にお住まいだったとのこと。ラーメン屋の行列の光景が、日本の住んでいた頃の思い出として、強く残っていたのだそうです。

<ドンブリを通して覗く国際政治>

 ソルト先生は米国の大学で日米関係をご専門としていました。大学院生のとき、指導の先生に冗談交じりに「ラーメンの歴史」を研究してみたいと言ってみたところ、「いいんじゃない?」との返答をいただいたとのこと。ご自身も半信半疑だったそうですが「小麦粉の歴史を辿ってみたら?」という提案を指導の先生からいただいたそうです。なぜなら、日米関係に繋がる可能性があるかもしれないから。

 アドバイスを受けて小麦粉の歴史を辿ってみたら、面白いことが見つかってきました。たとえば米国による占領時代、小麦粉は日本における共産主義の台頭に対する防波堤として用いられていたのだそうです。事実、米国はさまざまな便宜を図り、格安で小麦粉を日本に輸出してきたのだそうです。それが冷戦と繋がっているという仮説のもと、調べていくと、それを裏付ける資料を発見したとのこと。冷戦中、アメリカは自国の戦略のため、日本に小麦粉を精力的に輸出していたのだそうです。それがクッキーやパン、ラーメンの普及につながっていきました。そういえば、日本のコメの食料自給率は高いですが、小麦粉の食料自給率は低いですよね。

 このように、単なるラーメンの歴史ではなく、小麦を通して「食物と国同士の歴史・政治」が描けるのではないかという問いが、あの著書として結実したのだそうです。

でも僕は蕎麦のほうが好きなんだ。ラーメンは資料を使った研究対象なんですよね。だからいちばん困るのが、グルメの方から『どのお店のラーメンがおすすめですか?』と聞かれることなんです。

一同爆笑しつつも深く納得です。

<身近なものを深くて広い研究に>

 食べ物についての発言は、食べた/食べないといった経験談になりがちですが、そうではなく食料と政治の話として捉えることができるとソルト先生は言います。我々にとってはあまりにも当然で、あらためて考えたこともない事象であっても研究者の眼を通すと確かに面白い点があることを先生は次々と指摘されます。

 昔の中華料第21回ソルト先生_1理屋のコックさんから、作務衣を着た現代のラーメン職人へ。店構えも中華料理を象徴する赤からモノトーンや紫色に。食べ物を軸として、様々な視座があることを先生は指摘していきます。例えばラーメンをテーマにしたアミューズメント施設があります。新横浜にある「ラーメン博物館」を訪ねた時には「ラスベガスにいるんじゃないか」とソルト先生は思ったとのこと。「あそこには時計がないよね」、「ラスベガスだとベネチアといった違う国の街の風景を作り上げるんだけど、ラーメン博物館の中の景色は夕日だよね。不思議な感じがしました」。また、今の日本ではラーメンを語る、ラーメン記事を書くことだけでもビジネスとして成り立っていることも興味深いとのことです。

 暖簾(のれん)分けの制度自体も面白いとおっしゃいます。事業を起こした人が自分の報酬を顧みず、次世代の経営者を育てる。アメリカではあまり考えられない魅力的なシステムだとおっしゃいます。「純国産ラーメン」という概念も面白く、「アメリカでは、地元で作った食料かどうかは気にするが、どの国の食料なら安心か、そうでないかといったことはあまり考慮しないかな」。

 もちろんニューヨークで流行しているラーメンについての言及もされます。アメリカのラーメン文化はここ10年くらいで爆発的に発展したのだそうです。

ワインを飲みながら何十分もかけて、話をしながら食べるんだよ。麺伸びないのかな……(笑)。ラーメン一杯で18ドル(現レートで2000円)くらいするんです。そのくらいの価格帯になると、同時にアルコールをつけて、ゆったり楽しみながら話すことになる。でも挨拶は日本式の「イラッシャイマセー」で、非常に面白いんです。

 もちろん頼めばフォークも出てくるけれど、ラーメン屋に行くアメリカ人は箸を使うことができる人が多いとのこと。

第21回ソルト先生_2 質疑応答も盛り上がりました。とくに、ラーメンがアメリカに受容される際に、ベジタリアンに人気が出たことに関して質問が多く寄せられました。また、当時のトップレベルの機密ドキュメントを日本の国立国会図書館やアメリカの公文書館を使って徹底的に調べ上げた話も登場しました。話は尽きませんでしたが、これは参加者だけの特権にしておきましょう。

 ラーメンの研究といいますと、食べ歩きかな?もしかしてイロモノな研究かな?と、つい思われがちです。しかし食料政策の意図や、誰が食べた、誰が作ったといった歴史的な視座から捉えていくと、恐るべき深さと広さを持つダイナミックな研究になるのだというのを痛感させられます。

<おわりに>

 ソルト先生のご研究はラーメン研究といいつつ、実は国と国との政治的駆け引きや文化の移転を描き出したものでした。ラーメンの起源は中国、象徴性は日本、しかし原料は米国でした。日本の「内」ではわからない、「外」からの暖かな眼差しでラーメンを描いていく先生の姿が垣間見られます。おそらく先生のご研究には想像を絶する苦労があったはずです。しかしそれをおくびにも出さず、こう問うてみたら面白いのではないか、こう調べたら新しい発見があった……。身近なものを題材にしながら文化・歴史・社会をダイナミックに研究をしていくお姿に参加者一同、感銘を受けながら聞き入っていました。

 今回のコモンズカフェのあと、記録者も(もちろん)ラーメンを食べたくなってしまい、ある食堂に入りました。いつも食べている昔ながらの中華そばでしたが、ふと丼を覗き込むと、いつもよりもずっと深いもののように見えました。

 次回のコモンズカフェでは「クリスマスのいろは」と題してキリスト教文化センターの越川先生にお越しいただきます。沢山のご参加をお待ちしております。

 

(構成と文章:岡部晋典[アカデミックインストラクター(ラーメン愛好者)])

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