Date:2016.12.19
[第22回]同志社大学 キリスト教文化センター教授 越川弘英「クリスマスのいろは」
第22回コモンズカフェ開催記録
<はじめに>
今回のコモンズカフェには、12月に開催ということもあり「クリスマスのいろは」というタイトルでキリスト教文化センターの越川先生にお越しいただきました。今回のお話はいつものコモンズカフェ(前半30分先生の話、後半30分質疑応答)と異なり、ほぼ質疑応答で成り立つライヴ感あふれるカフェとなりました。
<クリスマスの基礎知識>
最初、先生からクリスマスの基礎知識についてお話していただきました。
クリスマスとは「キリスト・祭り」がもともとの原義なのだそうです。日本ではクリスマスですが、ヨーロッパではノエルといった表現などもあります。ただし12月25日がイエス・キリストの歴史的な誕生日かどうかは分かっていません。聖書ではイエスの誕生物語は描かれていますが、「12月25日」という記述はありません。ですから、正確に言えば、クリスマスは「イエス・キリストの誕生を記念する日」として理解するほうがよいということです。
それでは、なぜ12月25日がクリスマスとして扱われるようになったのかというと、他の宗教のお祭りをキリスト教が換骨奪胎して取り入れたことに由来するといいます。もともと12月25日は、ローマ帝国において、ミトラス教の「不滅の太陽神」を祝う祭日でした。当時の暦では12月25日が冬至だったのだそうで、冬至・夏至・春分・秋分は現代よりもずっと意味のある日でした。冬至は太陽の神様の力がもっとも弱くなるため、元気づけるために盛大なお祝いをする日だったのだそうです。キリスト教はその祭りの「光」や「闇」といったモチーフを活かして、「真の光であるイエス・キリスト」の誕生を記念する日として祝うようになっていきました。冬至を過ぎるとだんだん陽が射す時間が長くなるわけですが、そのことと「ヨハネによる福音書」のなかの1節にある「わたし〔イエス〕は世の光である」が重ね合わされて理解されるようになっていったともいわれています。
宗教におけるさまざまな起源を確定することは容易な作業ではありません。しかしクリスマスに関しては、わりと確定しやすい史料が残っているのだそうです。354年に記された文献によれば、336年頃にローマでクリスマスが行われていたとする記述があり、クリスマスは半世紀ほどの間にローマ帝国各地に広がっていきました。
<質疑応答から>
今回のコモンズカフェは前述のように、質疑が重点的に行われました。そのため今回の報告も質疑応答をいつもよりも多めに記載します。
Q1. クリスマスツリーのトップには必ず「星」(☆)が飾り付けられていますが、それはなぜでしょう。
A1. イエスの誕生物語に関連するのでなないでしょうか。東方の学者を導いた星のモチーフなのでしょうが、最初から行われていたのかどうかはわりません。ツリーについては、ゲルマン民族の自然崇拝、常緑樹への生命の畏敬といったものが反映されていると考えられています。キリスト教は他の宗教と対立しながら宣教していった面もありましたが、長い目で見ると、異教の習慣がキリスト教に入り込んできたというケースも数多くあります。いろいろな宗教の要素が流れ込んでいるからこそ、各地に根付くことができたと言えるかもしれません。これは宗教学的に興味深いですね。
クリスマスツリーを飾った最古の記録は、1419年にフライブルグでのことだといいます。ドイツ各地に広がったのは1600年頃で、ヨーロッパ全体に広がったのは19世紀ですから、キリスト教の長い歴史と比べるとごく最近のことです。日本で初めてクリスマスツリーを飾ったのは明治維新直前の1860年で、プロイセンの艦隊司令官が行ったそうです。明治初期の頃に日本人が行ったクリスマスのお祝いでは、ツリーに何を飾っていいのかわからなかったので「みかん」を飾ったりしたとも伝えられています(会場内笑)。羽織袴姿の人がツリーと一緒に写っている写真なども残っていますよ。
Q2. サンタとクリスマスの関連はいったいなんなんでしょう。
A2. サンタクロースの起源は意外とはっきりしており、4世紀頃、トルコのミュラにいた司教の聖ニコラスがモデルとなっています。子どもの守護聖人ですね。サンタの文化史はとても面白くて、聖ニコラス以外にも各地のいろいろな伝承や人物がまざっていって、「クリスマスの時期にプレゼントをくれるおじいさん」というイメージになっていきました。
日本でクリスマスとサンタが盛んになったのはやはり商業主義と結びついたからでしょう(笑)。昔は醤油メーカーなどもサンタを作って販促を行ったり、第2次大戦前からさまざまな仕掛けが行われていました。明治31年には『北国の老爺、三太九郎』という絵物語が発行されています。ストーリーは笠地蔵によく似ているらしいです。文化的な融合ですね。
ちなみに関西学院大学の先生が行った「いつまでサンタを信じていたか」というアンケート調査によると、大学生・男女各50人のうち、ほぼ半分が小学校3年生くらいまでしか信じていない。小学校5年で「ほぼ駄目ですね(笑)」。最初から信じていない人も5人いる。信じなくなったきっかけは「隠されていたプレゼントを見つけてしまった」が多いようですね(会場内笑)。
Q3. なぜ日本ではクリスマスが祝日ではないの?
A3. 世界的に見てもクリスマスが祝日である日は多くあります。キリスト教の影響がそれほど強くない国であっても休日である国もあります。一方、日本で祝日にならないのは宗教色が強すぎるためでしょうね。日本は政教分離が強いという影響があるのかもしれません。
Q4.イブの前日をイブイブと俗に言いますが、これは正式な名前?
A4. うーん、祇園祭の宵々山みたいなもんですか(会場内爆笑)。そもそもそんな英語表現ってあるんですか……?クリスマスイブってよく勘違いされますが、「クリスマス前夜」という意味ではありません。キリスト教の母胎となったユダヤ教における一日の始まりというのは、夕方がスタートです。つまりクリスマスイブというのはクリスマスの「前夜」ではなく、クリスマス当日に含まれるのです。
Q5. 明治以前の歴史的な受容について教えてください。
A5. 日本にキリスト教が伝わってきたのは16世紀の戦国時代、カトリック教会による宣教であるというのが定説になっています。様々の有能な宣教師が日本にやってきたこともあり、16世紀の後半までに急速に広まりました。過去の人口とか信者数を推定するのは難しいのですが、一説によれば当時の日本の人口は3000万人、そのうちの60万くらいがキリスト教を信じるようになっていたといいます。もちろん、その後、鎖国政策と禁教でキリスト教が下火になっていくのは皆さん御存知の通りです。
日本ではじめて行われたクリスマスは1552年のことだそうです。旧約聖書のなかの「創世記」と思われる天地創造の物語を日本語で朗読し、6回にわたってミサが行われたということが記録に残っています。戦国期に日本でキリスト教が広まっていったもっとも大きな理由のひとつは、宣教師たちが行った「慈善事業」にあったようです。とりわけ戦乱の時代に遺棄されたままの死体を丁寧に埋葬したことが、民衆の間にキリスト教が広がる大きな理由となったのだそうです。
<おわりに>
以上のようにさまざまな質疑応答……正確にいえば「対話」を通じた、面白いコモンズカフェになりました。クリスマスといった身近な日でありながら、神学の立場や文化移転といった視点など、学生の変化球のような質問を縦横無尽に先生がお返事しているのが印象的な一時でした。
次回のコモンズカフェでは、憲法学がご専門の先生をお呼びします。次回もお楽しみに。
(構成と文章:岡部晋典[アカデミックインストラクター)